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デメトリオス1世(ギリシャ語:ΔΗΜΗΤΡΙΟΣ Α΄, ? - 紀元前180年頃)は、第4代グレコ・バクトリア王国の国王。エウテュデモス1世の子。西北インドに侵入してグレコ・バクトリア王国の最盛期を築いた。 == 生涯 == 父のエウテュデモス1世の時代、グレコ・バクトリア王国はセレウコス朝のアンティオコス3世(在位:紀元前223年 - 紀元前187年)による侵攻を受けた。しかし、エウテュデモス1世は2年間の籠城戦に耐え、遂に両者は和平交渉に至る。この時、王子であったデメトリオスはアンティオコス3世の娘と婚約をしている。 父の死後、王位を継承したデメトリオス1世はヒンドゥークシュ山脈を越えてインド征伐に乗り出す。デメトリオス1世はまず南のアリアネ地方〔ヒンドゥークシュ山脈からアラビア海までの領域の総称。現在のアフガニスタン南部、イラン南東部、パキスタン南部にあたる。この地域をさらに分けるとアラコシア地方(現:アフガニスタン南部)、カアレネ地方、ゲドロシア地方(現:バローチスターン州、スィースターン・バルーチェスターン州)などに分けられる。〕を制圧し、そこに住むアリオイ,ドランガイ,エウエルゲタイ,アラコトイ,パロパミサダイなどの諸族を支配下においたと思われる。その頃の様子をストラボンは次のように記している。 こうしてアラビア海にまで達したデメトリオス1世はいよいよインドに進出し、ガンダーラ地方を制圧した。時に、インドではマウリヤ朝が将軍プシャヤミトラ・シュンガによって滅ぼされ、混乱時期にあったため、西北インド制圧はそれほど困難なものではなかったと思われる。この西北インド征服を祝してか、デメトリオス1世のコインには象の頭をかたどった兜をかぶった肖像が彫られており、銘文にはギリシャ文字のものと、インドのカローシュティー文字のものが併用されている。 デメトリオス1世はこの後間もなく亡くなったと思われ、弟のアンティマコス1世が後を継いでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デメトリオス1世 (バクトリア王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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