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デメトリオス1世 (バクトリア王) : ウィキペディア日本語版
デメトリオス1世 (バクトリア王)[でめとりおす1せい]

デメトリオス1世ギリシャ語:ΔΗΜΗΤΡΙΟΣ Α΄, ? - 紀元前180年頃)は、第4代グレコ・バクトリア王国国王エウテュデモス1世の子。西北インドに侵入してグレコ・バクトリア王国の最盛期を築いた。
== 生涯 ==
父のエウテュデモス1世の時代、グレコ・バクトリア王国はセレウコス朝アンティオコス3世(在位:紀元前223年 - 紀元前187年)による侵攻を受けた。しかし、エウテュデモス1世は2年間の籠城戦に耐え、遂に両者は和平交渉に至る。この時、王子であったデメトリオスはアンティオコス3世の娘と婚約をしている。
父の死後、王位を継承したデメトリオス1世はヒンドゥークシュ山脈を越えてインド征伐に乗り出す。デメトリオス1世はまず南のアリアネ地方〔ヒンドゥークシュ山脈からアラビア海までの領域の総称。現在のアフガニスタン南部、イラン南東部、パキスタン南部にあたる。この地域をさらに分けるとアラコシア地方(現:アフガニスタン南部)、カアレネ地方、ゲドロシア地方(現:バローチスターン州スィースターン・バルーチェスターン州)などに分けられる。〕を制圧し、そこに住むアリオイ,ドランガイ,エウエルゲタイ,アラコトイ,パロパミサダイなどの諸族を支配下においたと思われる。その頃の様子をストラボンは次のように記している。

こうしてアラビア海にまで達したデメトリオス1世はいよいよインドに進出し、ガンダーラ地方を制圧した。時に、インドではマウリヤ朝が将軍プシャヤミトラ・シュンガによって滅ぼされ、混乱時期にあったため、西北インド制圧はそれほど困難なものではなかったと思われる。この西北インド征服を祝してか、デメトリオス1世のコインにはの頭をかたどったをかぶった肖像が彫られており、銘文にはギリシャ文字のものと、インドのカローシュティー文字のものが併用されている。
デメトリオス1世はこの後間もなく亡くなったと思われ、弟のアンティマコス1世が後を継いでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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